ある日うつと自覚した
私がうつ病と診断されたのは
25歳の3月のこと。
新卒で入社した会社に4年勤め、もうすぐ5年目に突入しようというところで、私は会社に行けなくなった。
私の仕事は補聴器の営業だった。
メーカー直営店のスタッフとして、エンドユーザーに補聴器を販売したり、フィッティングしたり、現場の意見を本社開発部に発信するのが主な仕事。
私はこの仕事が嫌いだった。
お客様のほとんどは加齢により難聴となったお年寄りが多数。
ご老体の耳垢を触るなんてしょっちゅう。
補聴器なんて小さなものを耳に入れるのだから、メンテナンス作業は細かい汚れが伴う。
総合職での配属先としては汚れ仕事だと個人的に思う。
私の希望は内勤だった。
経理や総務で事務作業がしたかった。
それなのによりによって、一番苦手なエンドユーザーとの接客を強いられた。
なかでも苦痛だったのが
「お客様のきこえの悩みをお聞きすること」。
補聴器店にやってくる人は、きこえに悩みを抱えている人ばかり。
しかも、きこえ方や求める生活には個人差があるからじっくり悩みを聞き出して向き合わなければいけない。
昔からうつ気質のあった私には、他人の悩みを聞いている余裕はなかった。
むしろこちらが悩みを聞いてほしいくらいなのに。
それでも現場の仕事を続けていけばいつか、希望職である企画に就けるかもしれない。
この会社でキャリアを積むには営業は必要な通過点だ。
そう自分に言い聞かせて、4年間仕事をしてきた。
だけどやはりだめだった。
日に日に心が弾力を失っていくのがわかった。
職場では笑顔で振舞っても、一歩外に出ると無表情に変わり、電車通勤中はひとりでに涙が出た。
自宅の最寄駅に着いても帰宅できず、知らない道をハイヒールで徘徊した。
毎日、過去に戻る方法を考えた。
毎晩、自宅マンションから飛び降りようと、階段の上に立ち尽くした。
つらかった。
そんな最中に、ある日職場で小さな事故を起こして、ついに自分を認められなくなった私は、仕事から逃げた。
無断欠勤し、仕事を辞めようと虚に考えた。
こんなふうに最悪な形で退職するくらいなら死んだほうがマシ。
何度もスマホで自殺の方法を調べた。
そんな時、ネットで自殺方法と一緒に検索結果に表示されたのは
「うつ病かも?」
という文字。
自分は異常だ。
でもそれが病気のせいであれば言い訳がつくかもしれない。
そう思って、スマホで調べる内容は自殺方法から、自宅近所の心療内科に変わったのであった。
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